【新唐人日本2011年1月15日付ニュース】2010年、各国政府の内幕を明かしたウィキリークス、世界にその名がとどろきました。同時に、ウィキリークスの創始者、アサンジ氏も、世界の注目の的になっています。多くの国の政府がアサンジ氏を敵と見なす中、ネットのロビンフッドだと英雄視する声も出てきました。
アサンジ氏の創設したウィキリークスは、昨年4月から7月にかけて、イラクやアフガン戦争での米軍の機密文書、50万件近くを暴露し、波紋を呼びました。
昨年11月、ウィキリークスは、25万件のアメリカの機密公電を公表。中には、グーグルの攻撃指示など、中国共産党の内幕を明かすものも。当初ウィキリークスを歓迎していた共産党は、これで態度を急変させ、サイトを封殺しました。この後、アサンジ氏は、スウェーデンの警察から、性犯罪の疑いで国際指名手配されました。
昨年12月7日、アサンジ氏は、ロンドンで警察に自首。ただ最後まで、自身の潔白を訴えました。
アサンジ氏は、“私の信念は揺るがず、いまだに自身の理想に忠実だ。今、私の決意を強めてくれるものは、これらの資料の信憑性と正確性である”と述べました。
9日後、アサンジ氏は保釈されました。
ジュリアン・アサンジ氏
「再びロンドンの空気を吸えて最高です。私を信じてくれた全ての人に感謝し、私がいない時、我々チームを支持してくれた人に感謝し、勇敢に戦った弁護士にも感謝します」
設立から4年のウィキリークスですが、創始者のアサンジ氏は謎のベールに包まれ、写真も数枚しかありません。
アサンジ氏はオーストラリアのクイーンズランド州出身。天才ハッカーと称され、どんなセキュリティーソフトも突破できるそうです。小さい頃は近くの島、マグネティック島で生活。両親はツアー興行師で、住まいを転々としていました。これもアサンジ氏の冒険的な性格形成に関係しているとみられます。
各国の情報機関からの追っ手を逃れるため、スパイのような生活を送っています。決まった住まいがなく、世界の国を転々とし、公の場にもめったに出ません。仮名でホテルに泊まり、ソファや床で寝るほか、カードは使わず現金払いだそうです。
苦労のためか、顔は若いのに、髪は老人のような銀髪だとマスコミは指摘。
これまで、ウィキリークスは100件の訴訟を抱え、アメリカ政府も“危険で軽率な行為だ”と批判。しかし、アサンジ氏を英雄視する声はやまず、“ネット界の義賊、ロビンフッド”とさえいわれています。
新唐人テレビがお伝えしました。
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